2025年12月2日

<くふうハヤテ新入団> 後藤響投手(掛川西高出―新潟医療福祉大)背番号20から一念発起 高校同期の沢山(ヤマハ)、榊原(国学院大)の背中を追って
掛川西高から新潟医療福祉大に進んだ後藤響投手(22)もその一人。11月のトライアウトを突破し、NPB12球団入りを目指してスタートラインに立つ。

「合格の連絡があり、うれしかったです。どこまで通用するか分からないけれど、ハヤテのコンセプトが『挑戦』なので、しっかり挑戦しながら成長し、地元を盛り上げることにも貢献したいです」
少しでも近づきたい
掛川市出身。177㌢、82㌔。制球力が持ち味の右腕の最速は145㌔前後。目立った実績はなく、むしろ数々の挫折を乗り越えながら、諦めずに夢を追いかけてきた。
身近にいた憧れの存在に少しでも近づきたい、そんな思いで野球を続けてきた。
高校時代の同級生で、当時の左右ダブルエースだった沢山優介投手(ヤマハ)と榊原遼太郎投手(国学院大)。ひたすら2人の背中を追いかけてきた。
掛川西高時代の同級生、沢山投手(左)と榊原投手
「一番近くの理想の存在。大学でも2人の結果を気にしながら、刺激をもらってました」けがに苦しんだ高校時代
中学軟式野球の掛川城東中時代は小笠選抜で全国大会に出場するなど地元では知られた存在だった。高1の秋からベンチ入りし、順調なスタートを切ったかと思われたが、2年春には右肘の疲労骨折。その後もけがに悩まされ、万全な状態でマウンドに立つことはなかったと言う。
高3の春は県大会決勝で救援登板したものの結果を残せず、東海大会はベンチを外れた。チームはダブルエースの活躍で勝ち上がり、東海大会優勝。
「チームが勝つことはすごいうれしかったんですけど、複雑な気持ち、悔しい気持ちもありました」
夏の背番号は20。2人の快投の前に出番はなかった。
「不可能じゃないよ」
大学1年の冬、高校の同級生が集まる機会があり、沢山投手と車で向かっていた時のこと。「プロの話になって、『自分も目指してみたら、行けたりするのかな』なんて話していたんです。そうしたら沢山が『不可能じゃないよ』と言ってくれて。本人は覚えてないと思いますけど。沢山って本音で物を言うタイプなので、良くも悪くも言葉が刺さるんです(笑)。そこで、目指してみようかなって後押しになりました」
創部初の関東大会出場
新潟から都内の専門家のもとにも通い、投球フォームの改善に取り組んだ。大学3年秋の関甲新学生野球リーグ戦で10試合中7試合に投げて防御率1.26。
全国常連の上武大から勝ち星を挙げ、リーグ3位で創部初の関東地区大学選手権に出場した。
熱意を持ってできる仕事
ただ、思うような成長曲線は描けず、卒業後の進路選択の際は迷いもあった。「野球ぐらい熱意を持ってできる仕事は今の自分にはない。プロを目指すことが今の段階の正解なのかなと思いました」

トライアウトでは、カウント1ボール1ストライクからの設定で打者3人を6球で凡退に打ち取った。
「変化球は2球しか投げてないですし、ストレートも140㌔前後しか出てなかったですがバッターを差し込めていました。まだ変化球にむらがあり、球速も足りない。ピンチにベストボールを投げて三振が取れるピッチャーになりたいです」
信じた道を貫く強さ
掛川西高の後輩で、中日に育成2位で指名された石川大峨選手との対決が実現するかも知れない。春のオープン戦では沢山投手のいるヤマハとの顔合わせにも期待している。掛川西高の恩師、大石卓哉監督は「(後藤投手は)自分の信じた道を貫く強さと強者に立ち向かっていく勇気を持ち合わせています。高校時代の悔しさと、野球が好きという思いが今の彼の原動力だと思うので、どんな環境でも、響らしく、チームのためにマウンドに立ってほしいです」とエールを送る。
(編集局ニュースセンター・結城啓子)
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