2025年9月4日

【静岡の高校サッカー戦後史Vol.86】静岡北が1985年度、3度目の全国総体出場!元日本代表FW高木琢也擁する国見(長崎)をPK戦で撃破
【静岡北④】下馬評覆し再び全国へ
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。静岡サッカー応援アプリ「シズサカ」でまとめてご覧いただけます。
1985年度全国総体県予選を制し、金メダルを胸に記念撮影=県営草薙球技場
学校創設18年目の1980年(昭和55年)度、「自動車工」は校名を「静岡北」に変え、新たなスタートを切った。その新校名が県内に定着した85年度、3度目の全国総体出場を果たす。
といっても、大会前、下馬評には全く上がらなかった。中部予選を最下位で通過したのが、その理由だった。ところが、2回戦で中部2位の藤枝北を1−0で破り、上昇気流に乗った。主将の塚本武彦(現・加藤、リペアワダ)は、試合を重ねるたびにチームが盛り上がっていくのを実感していた。
窪田監督「縦のラインがしっかりしていた」
準々決勝の浜松北戦、準決勝の静岡西戦は、ともにGK田崎洋一の好セーブでPK勝ち。決勝は静岡を3−0と圧倒した。前半は0−0で折り返したが、後半、攻勢に出て杉山学(新潟経営大監督)の2得点とオウンゴールで試合を決めた。指揮を執ったのは窪田富夫(現・清水商教)。部長に回った高橋節夫(静岡市葵区在住)からバトンを受け、3年前からチームを率いていた。東海大一、清水商、浜名といった有力校が相次いで姿を消し、「運がよかった」といいながらも、窪田はCB、中盤、CFの「縦のラインがしっかりしていた」ことが出場切符獲得につながったと分析する。
塚本が国見戦で同点弾
総体本番は石川県で行われ、1回戦で大型ストライカーの高木琢也(J熊本監督)を擁した、国見(長崎)と対戦した。防戦に追われていたが、後半18分に杉山が決めて先制。直後に逆転されたが、29分に塚本が頭で押し込んで追い付いた。試合は2−2のまま延長でも決着せず、PK戦に突入した。県予選準々決勝、準決勝に続き、3度目のPK戦。勝負強さを発揮して接戦をものにしたが、八千代(千葉)と顔を合わせた2回戦もPK戦にもつれ込んだ。しかし、“3度あることは4度”とはならず、その先に敗戦が待っていた。
3度目の出場とはいえ、自動車工時代の77年度以来、8年ぶりの全国舞台。中盤の一角でチームを支えた鈴木克史(富士宮市在住)は「初出場と変わりはなかったので、みんなふわふわした感じだった」と回想する。
冷房の効き過ぎで体調を崩す選手が出たことも響き、体調管理の重要性をあらためて痛感させられた、久々の全国参戦でもあった。
全国への道が途絶えて四半世紀。監督就任5年目の千嶋武甲(たけまさ)の下、再建への歩みは続く。(敬称略)
1985年度全国総体県予選決勝先発メンバー
GK田崎洋一
DF
吉永憲正
杉山嘉一
永田雅彦
森田直樹
MF
鈴木克史
塚本武彦
星岳志
FW
荻野博久
杉山学
風間三郎
<次回からは「静岡学園」です>
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