2025年9月20日
論説委員しずおか文化談話室

​【横浜聡子監督「海辺へ行く道」】故・三好銀さん(伊東市出身)の漫画を映画化。港町に点在する風変わりなあれこれが、どれもいとおしい

静岡新聞論説委員がお届けするアートやカルチャーに関するコラム。今回は、静岡市葵区のシネシティザートで上映中の横浜聡子監督「海辺へ行く道」を題材に。2016年8月に亡くなった漫画家三好銀さん(伊東市出身)の「海辺へ行く道」シリーズを映画化。

全編小豆島ロケではあるが、最初から最後まで原作者の出身地伊東と重ねて鑑賞した。海辺の街、波の音、セミの声、坂道を駆け回る中学生。静岡県民の多くが、自分もそこにいる、あるいはいたような気分になるだろう。

映画というのはたいてい、オープニングで作品そのものの良しあしがなんとなく分かるものだが、その点で本作は完璧と言っていい。夏空、蝉しぐれ、小さな湾に向かってカーブを描く坂道、そこをトコトコ歩く黒猫。そこにブラシでスネアをたたく音がして、小粋なサックスのフレーズがかぶさる。

本作のトーン、全体像はここに凝縮されている。「ああ、たぶんいい映画だろうな」と確信が持てる。あとは小さなエピソードの積み重ねに身を委ねていればいい。開始5分で安心できる映画というのは、そうはない。

3話構成になっているが、物語はおおむね一本道と言える。アーティスト移住支援を打ち出した漁村でのんきに暮らす中学生・奏介(原田琥之佑さん)が主人公。美術部員の彼の夏休みは、演劇部に頼まれた背景画の制作や、新聞部の取材の手伝いなど、何かと忙しい。一方、街に出入りする大人は「アーティスト」だけでなく、何をしているのか定かでない人もいて、あちこちで小さな騒動が起こっている。

本作は、何か大きな事が起こってそれを決着させる話ではない。小さな出来事が起こったり、今まであったものや人がなくなったり。のんびりした、ちょっと風変わりなエピソードが点々と置かれている。そのどれもがいとおしい。

切れない包丁の実演販売、時々帰ってくる黒猫、カリスマ介護士の光と影、実態不明の動物におびえる大人たち、浮世絵に出てくる人魚、「超能力」(?)を使って祖父に復讐する小学生…。ちょっとよく分からないあれこれが、この港町に置かれると「当然のようにそこにある」ものに見えてくる。

日常と非日常がちょっとズレたり、重なったり。夏休みという何かが起こりそうな時期が、物語の全てを正当化する力を与えている。

第3話に金融機関に勤めるメグ(菅原小春さん)が出てきて、風向きが変わるのもユニークだ。芸術家たちの作品づくりの不備を突いて、投入した資金を回収にかかるメグは、芸術の価値に「数字」「指標」を持ち込みたがる世の中の象徴である。

音楽は映画音楽初挑戦の荘子itさん。奏介が兄貴分として慕う高校生テルオ(蒼井旬さん)のアトリエ、というか作業場には、荘子itさんのグループ「Dos Monos」の曲が。才気走ったテルオの役柄にぴったり合っていた。

(は)

<DATA>※県内の上映館。9月19日時点
金星シネマ(伊東市、10月1日~10月12日)
シネシティザート(静岡市葵区、9月25日まで)
シネマイーラ(浜松市中央区、10月10日から)

静岡新聞の論説委員が、静岡県に関係する文化芸術、ポップカルチャーをキュレーション。ショートレビュー、表現者へのインタビューを通じて、アートを巡る対話の糸口をつくります。

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