
「寂しくないように」5歳で亡くなった弟へ 兄が掲げ続けた空に泳ぐ“青い鯉のぼり” 15年の軌跡と未来

東日本大震災の発生から2026年3月11日で15年。
SBSでは、今後巨大地震による甚大な被害が予想される静岡県の放送局として、「東日本大震災15年の物語」と題して被災地の人々の歩みをお伝えしています。
宮城県にいる和田記者です。
<和田啓記者>
私はいま、宮城県東松島市の沿岸部にいます。600メートルほど歩くと海があります。震災当時、この地域一帯は津波にのまれ多くの人が亡くなりました。この場所で3月11日に掲げられたのが子どもを象徴する青い鯉のぼりです。
津波で亡くなった子どもたちが寂しくないようにと全国から送られたもので、ここには約200匹が泳いでいます。
弟をなくした一人の兄から始まったこの催し。15年の月日を経て鯉のぼりに託してきた思いに変化が生まれてきました。
"弟は傷一つなく、寝ているようだった"

<伊藤健人さん>
Q. 伊藤さんが住んでいた自宅はどのあたりだった?
「あそこに電柱が立っているかと思うんですけど、本当に厳密な位置というのがもう分からない状態」

伊藤健人さん(32)は震災当時、高校2年生でした。祖父母と両親、男3兄弟で暮らしていました。
末っ子の5歳の律(りつ)くんは家族のアイドルのような存在でした。
15年前に発生した東日本大震災。東松島市は10メートルを超える津波で壊滅状態となり、1100人以上が亡くなりました。
発災当時、市外にいた伊藤さんは大きな揺れに襲われましたが無事でした。父親と次男と合流しましたが、ほかの家族は避難所をめぐっても見つかりませんでした。
そんな時、父親がつぶやくように「遺体安置所に行ってみようか」と話したと言います。
<伊藤健人さん>
「自分の父親が最初に中に入っていったんですけど、父親の聞いたことのないような泣き声が聞こえので、父親が泣きながら何も言わずにこう手招きするんですね。中に入っていってそこにいたのが律だった」
目の前に横たわる律くんは傷一つなく、まるで寝ているようだったと言います。津波は自宅にいた祖父母と母親、律くんの4人の命を奪いました。

全壊となった自宅で片付けをしていた伊藤さんが見つけたものがあります。律くんの大好きだった青い鯉のぼりです。
伊藤さんは律くんのために物干しざおにくくりつけて鯉のぼりを空に掲げたといいます。
"亡くなった子どもたちが寂しくないように" 始まった青い鯉のぼりプロジェクト
<伊藤健人さん>
「『安心して。僕らは生きているからね』という思いは伝えたかったと思ってますし、ずっと鯉のぼり揚げる行為が震災前の日常だったわけで僕自身の中で日常に無意識に戻りたかった」
亡くなった子どもたちが寂しくないように。その思いから始まったのが青い鯉のぼりプロジェクトです。
5月5日の「こどもの日」にたくさんの鯉のぼりを掲げたいと寄付を募ったところ、SNSで拡散され、2011年の1回目には全国から200匹を超える鯉のぼりが集まりました。
"もう一人の親父"のような存在 音楽プロデューサー千葉さんとの出会い
<伊藤さんと企画を進めた 千葉秀さん>
「静岡あたりとかは、サッカーチームの皆さんとか寄せ書きしてくれたものとかあります、エスパルスの」
伊藤さんがもう一人の“親父”のような存在と話す音楽プロデューサーの千葉秀さんです。
青い鯉のぼりの企画は伊藤さんが1通のメールを千葉さんに送ったことが始まりでした。
<伊藤さんと企画を進めた 千葉秀さん>
「メール見た時は伊藤さんが前に進む目標が見えなくて。生きるための目標をつけてあげないといけないんじゃないかととっさに思ったし」
“同じ思いをしている被災者を応援したい”。当時高校生だった伊藤さんの原動力でした。

千葉さんの発想で、毎年鯉のぼりの下で行う和太鼓演奏が一つの文化となり、伊藤さんにはたくさんの仲間と地域との深いつながりができました。
この15年間に集まった青い鯉のぼりは5000匹を超えました。
<伊藤さんと企画を進めた 千葉秀さん>
「あの時は『一緒に突っ走ろうか』としか言えなかった。2番目の厳しい“親父”からの一言は、『そろそろ30も超えたんだから自分の好きなことをちゃんとやっていったらどうだ』と」
<伊藤健人さん>
「『僕始まりの物語』ではあるんですけれども、これからは『みんなの青い鯉のぼり』にしていこうと」
現在、伊藤さんは東松島市の職員として教育委員会で働いています。
<伊藤健人さん>
「やっぱり地元で働いて、青い鯉のぼりの活動もそうですけど、いろいろな人たちとそこでつながっていきたいという思いは強かったかなと」
妻・里奈さんと出会い、今は新たな家族として2人の生活が始まっています。
<伊藤健人さん>
「将来自分たちの間に子どもができたら、好きなものは見つけてほしいなとか、そういう未来の想像ができるのかなと。想像してて楽しいなって思うんで、そういう繰り返しの中でこれから生きていきたいかなとは思いますね」
「青い鯉のぼりまつり」地域住民を中心とした一人ひとりが主役に

2026年もこどもの日に向けて、青い鯉のぼりが風に舞い始めました。
<参加した子ども>
「天国の人が元気になってほしい」
<母親>
「忘れないという意味と、今生きている私たちも子どもたちも元気に過ごせるように」
3年前から名前も「青い鯉のぼりまつり」となり地域住民を中心とした一人ひとりが主役に。
<被災地域から集団移転した住民>
「集団移転でバラバラなところから来て一緒に住んでいるみんなも、鯉のぼりをきっかけにして団結する意味合いもある」

目指すのは“100年続くまつり”。人とのつながりに救われた伊藤さんは、今度は人々をつなぐ役割を担います。
<伊藤健人さん>
「青い鯉のぼりは、人生の中でつらいことがあったときに前に進むきっかけを作れる。震災を経験しているしてないにかかわらず、普遍的だけどもそういう強くて優しい力があると思う。これからも必要になってくると思うので、伝えていきたいと思っています」
<和田啓記者>
青い鯉のぼりが地域が前を向くきっかけになっている一方、3月11日は伊藤さんの家族や多くの方々の命日でもあります。
この事実に毎年向き合い続けることが、静岡に住む私たちにとっても大切なんだと感じます。
震災の歴史を刻む青い鯉のぼりと未来への新たな希望を掲げ、ことしも人々は空を見上げます。
「あしたを“ちょっと”幸せに ヒントはきょうのニュースから」をコンセプトに、静岡県内でその日起きた出来事を詳しく、わかりやすく、そして、丁寧にお伝えするニュース番組です。月〜金18:15OA










