2025年10月10日
論説委員しずおか文化談話室

【奥山由之監督「秒速5センチメートル」】松村北斗さん(島田市出身)の創造性が「アニメ版『その後』の貴樹」に命を与えた

静岡新聞論説委員がお届けするアートやカルチャーに関するコラム。今回は、10月10日に静岡市葵区のシネシティザートなど各地で上映が始まった奥山由之監督「秒速5センチメートル」を題材に。

新海誠監督の2007年の同名アニメーション映画を実写映画化。広瀬すずさん(静岡市出身)らが主演した「アット・ザ・ベンチ」(2024年)の奥山由之監督が約2年をかけて完成させた。

ローティーン期の淡い純真、高校時代の思慕とままならなさ、アラサー期の過去への拘泥とどこか諦めに似た感情。主人公遠野貴樹の三つの時代区分を淡々と描いたアニメ版は、人生の喜びとほろ苦さ、人と人の縁の尊さとはかなさを同時に感じさせる作品だった。

個人的な話で恐縮だが、筆者は長く苦しい仕事が一段落したとき、無意識にこの作品を選んで見てしまう。ぼそぼそとしゃべる貴樹の声(アニメでは水橋研二さん)と、いつまでも過去の思い出を引きずる姿に、力の抜けたエールをもらっている。そのものずばりの言葉はないが、「それでも人生は続く」を作品全体で語っているように思える。

実写化にあたり、貴樹を松村北斗さん(島田市出身)が演じると聞き、成果が約束されたと思った。「夜明けのすべて」「ファーストキス 1ST KISS」を見て、感情の振れ幅を必要最小限のせりふ回しやしぐさで表現できる演じ手だと知っていたからだ。実際に作品を見た今、その直感は間違っていなかったとはっきり言える。

松村さんは、多くの人が一定のイメージを有しているアニメ版の貴樹を忠実にトレースするのではなく、自身の創造性と想像力を尽くして「アニメ版『その後』の貴樹」をまさに「つくりあげて」いる。もちろん奥山監督の脚本や演出の力も大きいだろうが、アニメ版の「後日譚」的なエピソードが体感で4割ほどを占める本作において、松村さんの貴樹に対する洞察と控えめな独創性は「柱」そのものである。

「夜明けのすべて」に続いてプラネタリウムが活躍の舞台になっているのは偶然だろうか。とある人物が松村さんの声をさり気なく褒める場面がある。作品全体のやわらかいトーンは松村さんの「声」に由来しているような気がしてくる。

ローティーン期→高校時代→アラサー期と時系列に物語が進むアニメ版に対し、実写版はアラサーの貴樹を起点に、ローティーン期、高校時代を振り返る構造になっている。貴樹は、小学校時代に出会い意気投合したものの、卒業と同時に離れ離れになった篠原明里(大人時代を高畑充希さんが演じる)を忘れられない。目の前にその人の姿がなくても、心理的な親密さはいつまでも消えることがない。

明里の正反対の存在として描かれるのが、高校時代の遠野に思いを寄せる同級生の澄田花苗(森七菜さん)だ。種子島の高校に転校した貴樹は、生まれてからずっと島で過ごす花苗にとって「ほかの同級生と違って見える」存在。偶然を装って帰宅時間を合わせたり、友だちのアドバイスに従ってカラオケに誘ったり、「きっと好きってバレてる」貴樹に対していじらしいアプローチを繰り返す。

ただ、物理的な距離は近いのに心の距離は縮まらない。貴樹-明里の関係と正反対の構図だ。森さんは、敗北必至の「好きを伝える」行動、気持ちの上がり下がりを全身全霊で演じている。

大人になった貴樹と明里は、互いに極めて近い位置にいることを認識する。ただ、二人の思い出や過去の約束への考え方はそれぞれに違う。2008~2009年という時代設定が効いている。SNS全盛時代の2020年代ではないので、意図する人物とたやすくつながれない。当事者同士のすれ違いの中で、「なぜ」「どうして」を自分で考えなくてはならない。本作は、そうした逡巡が逆説的に「豊かさ」を生むことを明示している。

ローティーン期の貴樹を演じるのは静岡県出身の上田悠斗さん。今回が映画初出演だそうだ。

(は)

<DATA>※県内の上映館。10月10日時点
シネプラザサントムーン(清水町)
シネマサンシャインららぽーと沼津(沼津市)
イオンシネマ富士宮(富士宮市)
MOVIX清水(静岡市清水区)
シネシティザート(同市葵区)
藤枝シネプレーゴ(藤枝市)
TOHOシネマズららぽーと磐田(磐田市)
TOHOシネマズ浜松(浜松市中央区)
TOHOシネマズサンストリート浜北(浜松市浜名区)

静岡新聞の論説委員が、静岡県に関係する文化芸術、ポップカルチャーをキュレーション。ショートレビュー、表現者へのインタビューを通じて、アートを巡る対話の糸口をつくります。

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