2026年3月18日

【野外フェス「朝霧JAM」2026年“休止”】「独立峰」を取り戻せ
2024年朝霧JAM2日目朝のレインボーステージ。恒例のラジオ体操
円安のニュースに接するといつも、海外アーティストを招聘するプロモーターの顔が頭をよぎる。アーティストのギャランティーが上がる要因になるからだ。事業の前提が変わってくる。朝霧JAMの制作を担当するスマッシュも同様だろう。フジロックをはじめ幾多の「洋楽フェス」も同じ問題を抱えている。企業努力でどうにかなるものではない。
2025年朝霧JAM1日目夜のテントサイト
筆者は2010年から毎年、朝霧JAMに参加している。2010年の為替レートを見ると、11月1日が最も円がドルに対して高く、1ドル80・5円。最安値は4月5日の1ドル94・4円だった。1ドル160円をうかがおうかという昨今の相場とは雲泥の差だ。
円安が全ての原因ではないだろうが、朝霧JAMは2026年、開催されないことになった。ことしの10月がさびしくなってしまう。「休止」の一報があってから、過去に自分が書いた記事を見返してみた。ほぼ毎年、新聞にライブレポートを書いている。2010年10月23日付静岡新聞の記事はこんな書き出しで始まる。
今年で10回目となる野外音楽フェスティバル「朝霧Jam」がこのほど、富士宮市の朝霧アリーナで開催された。同市内に大雨洪水警報が発令された初日、日差しと霧が交互にやってきた2日目。変化の激しい天候の中、26組の出演者と観客が一体となり、熱と興奮を生み出した。
ここで書かれているように、2010年朝霧JAMの初日の雨は過酷を極めた。シャワーのような雨が夕方から夜遅くまで、ずっと続いた。筆者は大小100近くの野外音楽フェスに参加しているが、その中でも屈指の豪雨だった。そして気温も低かった。記事はこう続く。
「ピース・ラブ&アンダースタンディング」で盛り上げたスティーブ・ナイーブがステージを去るころには会場地面は泥沼のようになった。雨が容赦なくテントを打ちつける。
過酷な気象条件の中、登場したハナレグミ。ファンクやソウル、ブルースなど、ボーカル・永積タカシのアメリカ音楽への愛情がひしひしと伝わった。メンフィスの重鎮、ブッカー・T・ジョーンズ作の「ジャマイカ・ソング」の後に、杏里のヒット曲「オリビアを聴きながら」を弾き語り。意表を突いた選曲に驚きの声が上がった。
土砂降りの中、ギター、ドラムを従えて登場したマヌ・チャオは、レゲエ、フラメンコ、ハードコアパンクなどをミックスした激しい演奏だった。タテのりビートに合わせて泥だらけで跳びはねる観客に心打たれたか、アンコールに4回も応えた。
「悪天候であればあるほど奇跡的なライブが出現する確率が高まる」とよく言われるが、この時のマヌ・チャオはまさしくそれだった。心震わす素晴らしい演奏がその中心にあったが、ステージ前の群衆から湯気が立ち上っているのには驚いた。自分もその中にいた。
2010年朝霧JAM2日目、トッド・ラングレンの演奏時にようやく姿を見せた「赤富士」
結局、この時の経験を追い求めるようにして毎年10月、朝霧アリーナに通っていたような気がする。そして、それは叶えられた。2014年のTHA BLUE HERB、2015年のRafven、2018年のBOREDOMS、2022年のBOHEMIAN BETYARSなどがそうだ。2022年の加山雄三もそうかもしれない。演奏の良しあしだけでない、あの場所で聴いたからこそのマジックが確かに感じられた。朝霧JAMはいわゆる「音楽フェス」の一つではなく、「朝霧JAM」という独立峰なのだ。
2022年11月、富士宮市で行われた朝霧JAMとまちづくりを考えるシンポジウム。筆者も参加(撮影/富士宮支局・吉田史弥)
2019年は開催直前の台風接近で中止となった。2020年と2021年はコロナ禍で開催できなかった。2022年、4年ぶりの開催がかなった。会場で働くボランティア団体「朝霧ジャムズ」の面々に会うのもほぼ4年ぶりだった。だが、「久しぶり」の一言が時間を帳消しにした。
2011年朝霧JAMでごみの分別回収業務に携わるボランティアグループ「朝霧ジャムズ」のメンバー(撮影/写真部・宮崎隆男)
今回もそうなると信じたい。スマッシュを含めた実行委員会は2027年開催に向けて、動き始めていると聞く。朝霧JAMを「取り戻す」戦いだ。独立峰が消えてなくなることはない。
2025年朝霧JAMの模様を伝えるアットエス内「しずおか文化談話室」の記事
静岡県に関係する文化芸術、ポップカルチャーをキュレーション。ショートレビュー、表現者へのインタビューを通じて、アートを巡る対話の糸口をつくります。






