2025年1月15日
論説委員しずおか文化談話室

【第172回直木賞候補作品から② 荻堂顕さん「飽くなき地景」】 戦前からの60年を描く。唯一形が変わらないものとは

静岡新聞論説委員がお届けするアート&カルチャーに関するコラム。1月15日発表の第172回直木賞の候補作品を紹介する不定期連載。2回目は荻堂顕さん「飽くなき地景」(KADOKAWA)を題材に。受賞作の予想は15日午後3時からのSBSラジオ「3時のドリル」内で。

2024年に第3作「不夜島」が第77回日本推理作家協会賞に選ばれた気鋭の作家による、戦前から2000年代に至る旧華族の物語。鎌倉時代の名刀工粟田口久国が製作したとされる「無銘」、それを家宝とした烏丸家の家族の確執と和解が作品の太い幹になっている。

戦後の都市開発で財をなす烏丸一族の嫡男、治道は、アートコレクターだった祖父の遺志を継ぎ、「烏丸家の守り神」とも称された日本刀をはじめとする美術品を展示する私立博物館の建設を夢見る。

東京国立博物館での勤務を夢見て学芸員資格を取得した治道だが、長く軽蔑していた父親の要請を受け入れ、一族が経営する建設会社の広報課に転職する。博物館計画はご破算になったかに思えたが、治道はその才覚を生かし、夢の実現に一歩一歩近づいていく。

文化芸術には冷淡だが押し出しの強さで企業経営者としてのし上がっていく治道の父、道隆は、あらゆる点で強欲。治道は「正妻の長男」だが、「腹違いの兄」直生に憎まれている。こうした人間関係は、二人が長じて「烏丸建設」の幹部となってからも続く。

およそ60年の時が流れる中で烏丸家の人々の形、烏丸家の家族の形、烏丸家が運営する会社の形、日本社会の形がドラスティックに変容していく。そんな中で、唯一「形が変わらない」のが粟田口久国「無銘」である。この対置が興味深い。

形は変わらないのに、「評価」は変わっていくという点も見逃してはならない。同じ構造の作品として、津村記久子さんの「水車小屋のネネ」を思い起こした。舞台設定も読後感も全く異なるが。

1968年東京五輪で活躍したとある陸上選手をモデルにした人物が登場し、胸を締め付けられる。
(は)

静岡新聞の論説委員が、静岡県に関係する文化芸術、ポップカルチャーをキュレーション。ショートレビュー、表現者へのインタビューを通じて、アートを巡る対話の糸口をつくります。

エンタメ
暮らし
本・書店
伊豆
長泉町
伊豆市

あなたにおすすめの記事

  • 【第172回直木賞候補作品から⑤ 木下昌輝さん「秘色の契り 阿波宝暦明和の変顛末譚」】 現代に置き換え可能な歴史小説

    【第172回直木賞候補作品から⑤ 木下昌輝さん「秘色の契り 阿波宝暦明和の変顛末譚」】 現代に置き換え可能な歴史小説

    論説委員しずおか文化談話室

    #エンタメ
    #暮らし
    #本・書店
    #伊豆
    #牧之原市
    #熱海市
  • 【第172回直木賞候補作品から④ 朝倉かすみさん「よむよむかたる」】 「生きがい」を描いているように見えるが

    【第172回直木賞候補作品から④ 朝倉かすみさん「よむよむかたる」】 「生きがい」を描いているように見えるが

    論説委員しずおか文化談話室

    #エンタメ
    #暮らし
    #本・書店
    #県外
  • 【第172回直木賞候補作品から① 伊与原新さん「藍を継ぐ海」】 幾重もの縦糸横糸が美しく織り上がっていく

    【第172回直木賞候補作品から① 伊与原新さん「藍を継ぐ海」】 幾重もの縦糸横糸が美しく織り上がっていく

    論説委員しずおか文化談話室

    #暮らし
    #エンタメ
    #本・書店
    #県外
  • 【第173回直木賞候補作品から(4) 青柳碧人さん「乱歩と千畝」】森下雨村、黒岩涙香、木々高太郎、小栗虫太郎、大下宇陀児、横溝正史…。「新青年」関係者が次々登場!

    【第173回直木賞候補作品から(4) 青柳碧人さん「乱歩と千畝」】森下雨村、黒岩涙香、木々高太郎、小栗虫太郎、大下宇陀児、横溝正史…。「新青年」関係者が次々登場!

    論説委員しずおか文化談話室

    #エンタメ
    #暮らし
    #沼津市
  • 【第173回直木賞候補作品から(5) 塩田武士さん「踊りつかれて」】 義憤に駆られた誹謗中傷がもたらすものとは。SNS時代の被害と加害の反転をリアルに描く

    【第173回直木賞候補作品から(5) 塩田武士さん「踊りつかれて」】 義憤に駆られた誹謗中傷がもたらすものとは。SNS時代の被害と加害の反転をリアルに描く

    論説委員しずおか文化談話室

    #エンタメ
    #暮らし
    #浜松市
  • 【第173回直木賞候補作品から(1) 逢坂冬馬さん「ブレイクショットの軌跡」】不幸の種を内包したSUV「ブレイクショット」。魅力的なエピソードをギュッと結束

    【第173回直木賞候補作品から(1) 逢坂冬馬さん「ブレイクショットの軌跡」】不幸の種を内包したSUV「ブレイクショット」。魅力的なエピソードをギュッと結束

    論説委員しずおか文化談話室

    #エンタメ
    #暮らし
    #本・書店
  • ​【第173回直木賞候補作品から(2) 芦沢央さん「嘘と隣人」】 引退した刑事が直面する、ともすると見えない「悪意」。「捜査権なき捜査」が行き着く場所は

    ​【第173回直木賞候補作品から(2) 芦沢央さん「嘘と隣人」】 引退した刑事が直面する、ともすると見えない「悪意」。「捜査権なき捜査」が行き着く場所は

    論説委員しずおか文化談話室

    #エンタメ
    #暮らし
  • 【直木賞候補作を読む③一穂ミチさん「ツミデミック」】変更不可能な現状 分かち合う

    【直木賞候補作を読む③一穂ミチさん「ツミデミック」】変更不可能な現状 分かち合う

    静岡新聞教育文化部

    #県内アートさんぽ
    #エンタメ
  • 【第171回直木賞の受賞作を大予想!】2回連続で的中させた静岡新聞記者が推す本命は? 候補作の魅力を交えて発表します!

    【第171回直木賞の受賞作を大予想!】2回連続で的中させた静岡新聞記者が推す本命は? 候補作の魅力を交えて発表します!

    SBSラジオ ゴゴボラケ

    #エンタメ
    #県内アートさんぽ
  • 【直木賞候補作を読む⑤岩井圭也さん「われは熊楠」】「転んだ兄」への失望

    【直木賞候補作を読む⑤岩井圭也さん「われは熊楠」】「転んだ兄」への失望

    静岡新聞教育文化部

    #県内アートさんぽ
    #エンタメ