2025年1月14日

【第172回直木賞候補作品から① 伊与原新さん「藍を継ぐ海」】 幾重もの縦糸横糸が美しく織り上がっていく

2019年、浜松市を舞台にした作品を収録した短編集「月まで三キロ」で静岡書店大賞に選ばれた伊与原さん。本作は「月まで三キロ」や、2020年下期の第164回直木賞にノミネートされた「八月の銀の雪」と同様、科学的事象を下敷きにしたヒューマンストーリーを収めた短編集である。
山口県で地質調査を行う女性鉱物学者と、著名陶芸家の血を引きながら惰性で生きる男性が、同県の離島でかつての窯跡を探す「夢化けの島」。
長崎県長与町役場の若手職員が、地域住民の通報を受けて入った空き家で大量の「石やレンガ」を見付け、原爆投下直後のある人物の命がけの行動を知る「祈りの破片」。
徳島県の漁村で漁師の祖父に育てられた中学生女子が、アカウミガメの産卵と子ガメの「旅立ち」を通して家族の実体をつかむ「藍を継ぐ海」。
それぞれに色彩の異なる5編。サイエンス、地方都市という伊与原さんならではの「お約束」は、読み進める上での「安心感」となって読者を包む。地球科学、生物学、化学の、ともすると無機的になりがちな理論を、人と人の関わりや、人の心の揺らぎという極めて情緒的な現象に、無理なく重ねる手さばきは巧みと言うほかない。
幾重にも重ねた縦糸横糸が、美麗な布として織り上がっていく過程を思い浮かべた。
(は)
静岡新聞の論説委員が、静岡県に関係する文化芸術、ポップカルチャーをキュレーション。ショートレビュー、表現者へのインタビューを通じて、アートを巡る対話の糸口をつくります。
暮らし
エンタメ
本・書店
県外
あなたにおすすめの記事
【第172回直木賞候補作品から② 荻堂顕さん「飽くなき地景」】 戦前からの60年を描く。唯一形が変わらないものとは
#エンタメ#暮らし#本・書店#伊豆#長泉町#伊豆市【第173回直木賞候補作品から(4) 青柳碧人さん「乱歩と千畝」】森下雨村、黒岩涙香、木々高太郎、小栗虫太郎、大下宇陀児、横溝正史…。「新青年」関係者が次々登場!
#エンタメ#暮らし#沼津市【第173回直木賞候補作品から(2) 芦沢央さん「嘘と隣人」】 引退した刑事が直面する、ともすると見えない「悪意」。「捜査権なき捜査」が行き着く場所は
#エンタメ#暮らし【第172回直木賞候補作品から⑤ 木下昌輝さん「秘色の契り 阿波宝暦明和の変顛末譚」】 現代に置き換え可能な歴史小説
#エンタメ#暮らし#本・書店#伊豆#牧之原市#熱海市【第173回直木賞候補作品から(6)完 柚月裕子さん「逃亡者は北へ向かう」】東日本大震災で検察がくだした苦渋の決断を物語に昇華。現実とフィクションの境目が見えない予言的小説
#エンタメ#暮らし【第173回直木賞候補作品から(1) 逢坂冬馬さん「ブレイクショットの軌跡」】不幸の種を内包したSUV「ブレイクショット」。魅力的なエピソードをギュッと結束
#エンタメ#暮らし#本・書店【第173回直木賞候補作品から(3) 夏木志朋さん「Nの逸脱」】 一見地味な人物たちが、じわじわと「モンスター化」。本性ダダ漏れの過程がスリリング
#エンタメ#暮らし#本・書店#県外【第173回直木賞候補作品から(5) 塩田武士さん「踊りつかれて」】 義憤に駆られた誹謗中傷がもたらすものとは。SNS時代の被害と加害の反転をリアルに描く
#エンタメ#暮らし#浜松市